日本の1980年代後半は4%台であったが、1990年代前半、1991年から93年にかけて
一気に6%を超える高い値を占めるようになった。
こうした急激な公共事業の拡大は韓国を除くと他の先進国では類例のないものである。

 きっかけは、外圧である。すなわち、『対日貿易赤字の累積』(※←刮目!)に困っていた米国は、
1990年の日米構造協議の中で、日本の内需拡大とそのための公共投資の拡大を日本に迫った。
その結果、対米公約というかたちで、1991年度から10年間で総額430兆円という公共投資基本計画が策定された。
その後、基本計画は、95年度から13年間で総額630兆円という規模に膨らまされた(2002年にようやく廃止)。

 折からバブル経済の崩壊で日本経済は深刻な景気低迷の時期を迎えており、
数度に渡る大型の景気対策予算が組まれた。その内容は中央、地方を通じた公共事業の拡大であった。

 毎日新聞は「公共事業はどこへ」という連載記事の中で官僚から次のような当時への回顧談を引き出している
(2010年3月4日)。

『「あるころから、お金を世の中に巡らせることが自分たちの役割となり、お金を公から民へ流す蛇口になってしまった」。「あるころ」とは政府が公共投資基本計画をまとめた90年を指す。...
「それまでの予算編成は、これをここに造らないといけないから、いくらかかるという考えだった。
だが、これだけ世の中にカネを出さないといけないから、それに見合った仕事を作れというふうに、
パラダイムシフト(枠組みの変化)が起きた」と指摘する。

 ...旧自治省で景気対策にかかわった元官僚は「地方が『これ以上嫌だ』と言ってもやらせた。
公共事業をしなければ、経済はもっとひどいことになっていた」と話す。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5165.html