それは「設楽の実力」を見くびり過ぎだわ

先夜の煮え切らない設楽を客観視すれば即決を嫌う「熟考の男」

たまたま下北時代にオークラと出会いユーモアセンスを見抜き
たまたまコンビを失った日村と出会い怪物性を感じ取り組んだ

つまり「他の誰かでも利を運んでくれる能力を持つ子分」を得る
才能こそが設楽の真の能力と言え「彼の仕事」は既に終わっている

あとは安楽椅子にドッカリと座って手駒の采配を支持するだけで
そのデメンションが違っても「結果は同じ」と思って間違いない

映画「戦国自衛隊」ではないが決定的な歴史の大勢は不変だよ