「平子さんならフィルター茶色のほうがいいな」
「...そゆこと」

の平子の間が最高。この間こそ平子の真骨頂。
イキりたいやつを演じたい平子が、酒井に知識負けする。そこをどうにかかわそうとまた演技を重ねる。この一瞬ぶざまに映るところまでが平子。
ここまで平子の計算。これこそが平子。二重、三重のベールで包まれた繊細な笑い。湖面にぷくぷくと浮かぶ小魚の気泡のよう。この味わいぶかさを楽しめないようなら平子を語る資格はない。

「タバコケースは使わなくなる、ていうかダサい」
「ん、ダサァーいのね?」

「セッタもいいかも」
「なんかスカしてない?」
「...」
「いや知らないけどー!」

これ、このぶざま。平子の真骨頂とは「失笑」の笑いなのである。「失笑」を演じているのが平子の特性なのだが、その「失笑」をただの「失笑」と勘違いしている素人が多い。平子は(酒井含めアルピーとは)この「失笑」まで作って、一周して笑うところがミソである。

あまり専門的な用語は使いたくないが、「裏笑い」というものを「自身で演じて作る」のが平子(アルピー)の真骨頂(一昔前のガキ使の一本まるまるコントのような笑いと言ったらよいか)。

そして平子が恐ろしいのはこの「裏笑い」を「自身で演じて作りながら」「素のイタさ」も相当にある、という特異なキャラクターだという点だ。もはや平子の本意は掴めない。いったい平子の素顔はどこにあるのか?平子を覗くものは、平子に覗かれているのだ。