安倍元総理の国葬に反対しているひとのかなりの割合のひとが、自民党葬なりなんなりになったとしても、やっぱり反対していると思う。ようは「自分の気に入らない政治家の葬儀などまかりならん」という「生理的嫌悪」から発言しているにすぎないのでは? という疑念。

法的根拠等を論拠にしているひとでも、真に法的な手続き論から発しているひとと、とりあえず手近にあった「もっともらしい理由」としてこれを選んでいるひとと、どちらもいると思われる。

もとより「生理的な」という形容のつく「嫌悪」は要注意。「生理的好感」とはいわないでしょう。ではこの「生理的」ってのは何なのか。