1962年(昭和37年)に東京大学を卒業後、精神科医となり[1]、東京大学医学部附属病院神経科、東京都立松沢病院に勤務。同病院には4年ほど勤務するが[2]、このうち、1年間はライシャワー事件を起こした青年の主治医を務めた[3]。また、1965年(昭和40年)の東京大学カラコルム遠征隊に加わり、副隊長・登攀隊長を担った

1968年(昭和43年)、既成の病院に見切りをつけ、志を同じくする数人の看護者と共に[4]、日本初の完全開放による精神病院の実現を試み[5]、群馬県太田市の郊外、山麓の小高い一角に三枚橋病院を創設[4]。病院は開放病棟のさきがけといわれ[6]、ディスコも常設し、自らDJを務め[5]、男女の交際も自由とするなど[7]、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力した。


父親東大2回も入学して卒業してるし学力的には日本の頂点
病院も創設してるし年収ものすごいだろ