深夜ラジオには、不思議な熱量がある。
テレビほど大仰ではなく、SNSほど瞬間的でもない。
狭い部屋の空気のように、好きな者同士だけで共有される温度がある。
その親密さゆえか、ときに言葉は過敏になる。
ある番組について、「声優がわざとらしく子供の声を出すのが虫唾が走る」と書き込んだ人がいた。
それに対し、「ならば聴くな」と返す者が現れた。
ネットでは珍しくもない応酬である。

「嫌なら見るな」「嫌なら聴くな」は、便利な言葉だ。
確かに、娯楽は本来自由なもので、苦痛を我慢してまで付き合う必要はない。
だが一方で、その言葉は対話を終わらせる刃にもなる。
「あなたの感想は不要だ」と言外に告げてしまうからだ。
もっとも、最初の言葉にも棘がある。「虫唾が走る」という表現は、単なる批評ではなく、相手の表現や演技そのものへの拒絶を強く含む。
好きで聴いている人間からすれば、不快に感じても無理はない。

結局のところ、どちらも「好き」を守ろうとしているのかもしれない。
片や、自分の感覚を偽りたくない人。
片や、自分の楽しみを踏みにじられたくない人。
ネットの言葉は短く、互いの背景を削ぎ落としてしまう。
だから、感情だけが先にぶつかる。

ラジオとは本来、耳を澄ませる文化だったはずである。
ならば、番組だけでなく、違う感想を持つ他人の声にも、ほんの少し耳を貸してみてもよいのではないか。
沈黙より先に「なぜそう感じたのか」を問う余白があれば、深夜の空気も少し柔らかくなる。