まあ許すわ
贔屓していたら叱られるでね
まあ、元を辿ればねえ
解ってしまうわねえ
大正十三年の4,000円だけでここまで伸びたということは矢張り団結共存共栄の思想があったんだろう
良い職員ばかりだったし、オレの好みの芸術劇場まであるからオレのやる仕事がありゃせんわ
そんないつまでもタワケのお坊ちゃんやっていたら世間様に会わせる顔もありゃせんよ
新品のフライパンをもらったわ
何か依頼してきた
苦手なことを率直に言えないんだろうなあ、年輩の人の心理を酌むのは未だ難しいわ
自分がそうなったことが無いから高齢の人の心理が解らない
UFJも東海銀行でしょう
そりゃそうなるわね
なるのが普通だわ
絶対にオレのほうは出てこないようになっている
厳重に管理されているわ
ほりゃ米穀組合会頭だったそうだけど、いろいろ商売やり過ぎだわ
喧嘩党なのに優しいとか解らん人だわ
オレは戦後に裏切り似合った後も蒟蒻屋を設立してバアと一緒に貧しい人たちに売っていたという話が好きだわ
人が好すぎると思うわ
そんなに優しいとか何かあったんだろうかねえ
寿美か壽美か解らないわ
戸籍謄本のことで旧字体のものとかどういう扱いになるんだろうか
まだ法務省から何も聞いていないと課長補佐は言っていたわね
どこまで辿れるんだろう
概要
東海銀行は、1941年に愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行の3行が合併して設立。
前身の伊藤銀行は名古屋初となる私立銀行であり、松坂屋を源流とする伊藤財閥の流れを汲む。
合併前は中京圏(東海地方)に本店を置く唯一の都市銀行であった。
愛知県に本店を置く戦後地銀が新設されなかったため、名古屋財界(中京圏財界)において「名古屋五摂家」(他の4社は中部電力・東邦瓦斯・名古屋鉄道(名鉄)・松坂屋)の一員として影響力を持っていた。
本店[2]は、愛知県名古屋市中区錦3丁目21番24号(現在の三菱UFJ銀行名古屋営業部)にあった。