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改暦断行の理由

建議から時を置かずに改暦の布告が出され、1ヶ月も間を空けずに性急な新暦導入が行われた理由として、
明治政府の財政状況が逼迫していたことが挙げられる。

当時参議であった大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』によれば、官吏への報酬を月給制に移行したばかりのところ、
旧暦のままでは翌明治6年は閏月(閏6月)があり、以後も閏月がある年は1年間に報酬を13回支給しなければならない。

これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり、毎年12か月分の支給で済ませられる。

また、明治5年については、12月は2日しかないことを理由に支給を免れ、結局月給の支給は11か月分で済ますことができる[注釈 2]。

また、当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、これに節句、大祭祝日、寒暑の休暇などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算であったが、
新暦導入を機に週休制に改めることで、休業日を毎週日曜日に限り年間50日余りに減らすことができる[1]。