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神アプリ

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2025/05/16(金) 04:00:44.34ID:tV2l4ipF
私には神アプリスレが必要なんです!
2025/05/18(日) 04:55:04.71ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

田邊雄一が最も許し難いわな
人道に対する罪だわ
人の死を待つ商売の信徒

嘔吐しそうになるわ
2025/05/18(日) 05:08:21.89ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

Tschaikowsky: 6. Sinfonie (»Pathétique«) ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andris Poga
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竹中平蔵 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5

竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月3日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学者。
東洋大学グローバル・イノベーション学研究センター客員研究員。

慶應義塾大学名誉教授。
専門は経済政策。

世界経済フォーラム理事[1]、SBIホールディングス社外取締役[2]、森ビルアカデミーヒルズ理事長、日本経済研究センター研究顧問、外為どっとコム総合研究所首席研究理事[3]、
アドビ International Advisory Board メンバー[4]、特定非営利活動法人万年野党アドバイザリーボードメンバー、一般社団法人外国人雇用協議会顧問[5]、
一般財団法人教育支援グローバル基金(BEYOND Tomorrow)アドバイザー、新生ホームサービス株式会社特別顧問、

内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員、
内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員、
RIZAPグループ経営諮問委員会委員、
日本からヘイトをなくす会アドバイザー等を務める。

2016年(平成28年)4月から2017年(平成29年)3月まで東洋大学国際地域学部国際地域学科教授、
2017年(平成29年)4月から東洋大学国際学部グローバル・イノベーション学科教授 兼 グローバル・イノベーション学研究センター長、関西大学会計専門職大学院客員教授。

参議院議員(1期)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、内閣府特命担当大臣、総務大臣(第6代)、郵政民営化担当大臣、東京財団理事長、パソナグループ取締役会長、オリックス社外取締役[2][1]等を歴任した。


来歴
生い立ち

和歌山県和歌山市小松原通りにある商店街の小さな履物小売商[6]『竹中履物店』の次男として、1951年(昭和26年)に生まれる[7][8]。

実家は近所では比較的裕福な家庭で[6]、おじは和歌山で小さなメガネ屋を経営していた[9]。

ミサワホーム社長の竹中宣雄は実兄[10]。

和歌山市立吹上小学校、和歌山市立西和中学校、和歌山県立桐蔭高等学校に進む。

高校生時代は日本民主青年同盟(民青同盟)に所属していたが、在校中に決別した[11]。

1973年(昭和48年)に一橋大学経済学部を卒業[8]。大学では国際経済学の山澤逸平ゼミに所属[8]。

また、大学のマンドリンクラブで指揮者を務めながら、プロの奏者から打楽器を習ったり、編曲を行い、音楽家を目指したが断念[12]。

仁坂吉伸和歌山県知事とは高校の同級生である。
2025/05/18(日) 05:14:20.17ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>78
日本開発銀行勤務

日本開発銀行の設備投資研究所で初代所長を務めていた下村治にあこがれ[13]、一橋大学経済学部を卒業し、日本開発銀行に入行した。

1977年(昭和52年)、設備投資研究所に勤務、1981年(昭和56年)、ハーバード大学、ペンシルベニア大学客員研究員。

ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。

1982年(昭和57年)、大蔵省財政金融研究室(後、独立機関「―財政金融研究所」となる)に出向し、次席主任研究官となった。

当初、主任研究官は2年の予定だったが、竹中は行動力があり、

アメリカのローレンス・サマーズやジェフリー・サックスとは知り合いの間柄だったことを長富祐一郎次長(のちに大蔵省関税局長)が気に入り、長富の希望で、竹中は5年間研究官を務めた。

長富祐一郎からは財政金融研究所への移籍をすすめられたが、竹中平蔵はこの誘いを断っている[8]。

ちなみにこの時の部下の一人が高橋洋一であった。

研究所在籍中の1984年(昭和59年)には、

アメリカ留学中の研究成果をまとめた

『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年〈昭和59年〉7月)と題する著作でサントリー学芸賞を受賞した。


ただし、その後、

佐々木実

『竹中平蔵 仮面の野望(前編)』(月刊現代2005年〈平成17年〉12月号)では

当時の設備投資銀行の同僚の

鈴木和志(現在・明治大教授)や

日本開発銀行での同僚

高橋伸彰(現在立命館大教授)の実証分析のデータ結果を竹中平蔵が無断で使用していた事実が指摘された[14]。

当時の財政金融研究所には、次長の長富祐一郎や

筆頭主任研究官の

吉田和男がおり、

同僚として

植田和男、

高橋洋一がいた。
2025/05/18(日) 05:23:24.50ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>79
研究者として

大阪大学経済学部教授を務めていた本間正明の誘いで[8]、

1987年(昭和62年)、大阪大学経済学部助教授に就任[15]。以降研究者としての道を歩む。

1989年(平成元年)、日本開発銀行を退職、ハーバード大学教授を務めていたジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェローに就任した[15]。

1990年(平成2年)に慶應義塾大学総合政策学部教授を務めていた加藤寛に誘われ、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任[15]。

1993年(平成5年)にアメリカ合衆国に移住。

     この年に出版された小沢一郎の日本改造計画の執筆に参加。

     コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクールにある「日本経営研究センター」(所長はパトリック・ヒュー教授)の客員研究員になる[16]。

     その後、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、

     大学の教授会では「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会での審査に不合格となった。

     この教授会の決定について、竹中の指導教官だった山澤逸平は、「これは一橋大の失態である」と後年述べている[17]。

1994年(平成6年)、大阪大学にて博士(経済学)の学位を取得した(学位論文『日本経済の国際化と企業投資』)。

→「Category:博士(経済学)取得者」を参照

1996年(平成8年)に帰国、同年、慶應義塾大学教授に就任。

1997年(平成9年)、日本船舶振興会(現日本財団)の交付金で設立された

             基本財産397億円のシンクタンク「国際研究奨学財団
      
             (その後、1999年〈平成11年〉から東京財団に改組)」の理事に就任した。

1998年(平成10年)に国際研究奨学財団常務理事、

1999年(平成11年)に東京財団理事長に就任した。

1998年(平成10年)に東京財団内に設けられた「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」では、

     (影の)総理に香西泰(後に政府税制調査会会長)、

     官房長官に島田晴雄(慶應大教授)と竹中、

     財政担当大臣に本間正明(大阪大教授、後に政府税制調査会会長)と吉田和男(京都大教授)、

     金融担当大臣に池尾和人(慶應大教授)と岩田一政(東京大教授、後に日本銀行副総裁)らが名を連ねた。

これは実質竹中による政策会議で、

自民党議員との交流会も頻繁に開かれ、

竹中の紹介で小泉純一郎と会ったメンバーも多くいた[8]。

また日本興業銀行経営アドバイザーや、フ

ジタ未来経営研究所(日本マクドナルドのシンクタンク)理事長、

アサヒビール社外取締役を歴任した。
2025/05/18(日) 05:24:52.91ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>80
小渕政権

1998年(平成10年)7月、小渕内閣の経済戦略会議(議長、樋口廣太郎)の委員に就任。

     議長代理の中谷巌を中心とした学者グループの一員として、戦略会議の理論的支柱を形成した。

     この経験が、のちに竹中が経済財政諮問会議を切り回す土台となったとする説もある。

会議の結論としては、日本の短期経済政策には金融健全化と大胆な財政出動を伴う追加的景気政策が必要とし、

内閣総理大臣小渕恵三に対し「10兆円を大きく上回る規模の追加的財政出動」などを提言した[18]。

その後、「日本経済再生への戦略」と題した答申を発表した[19]。

森政権

森内閣発足により設置されたIT戦略会議にて委員を務める。

森内閣が推進するe-Japan構想に対しさまざまな提言を行った。
2025/05/18(日) 05:38:45.30ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>81
小泉政権

2001年(平成13年)の第1次小泉内閣で、経済財政政策担当大臣とIT担当大臣に就任した。

2002年(平成14年)の第1次小泉第1次改造内閣では経済財政政策担当大臣として留任し、また、金融担当大臣も兼任する。

2003年(平成15年)、第1次小泉第2次改造内閣においても留任、内閣府特命担当大臣として金融、経済財政政策を担当。

2004年(平成16年)7月、第20回参議院議員通常選挙に自民党比例代表で立候補し70万票を獲得しトップ当選。

2005年、第3次小泉改造内閣発足時に首相官邸で会見する

2005年(平成17年)9月、第3次小泉内閣においても役職はそのままで再任。

    同年9月、第2次小泉改造内閣において、同年10月、第3次小泉改造内閣においては総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。

    NHKの完全民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為、頓挫する。

    2006年(平成18年)9月15日、任期を4年近く残し政界引退を表明。

    同年11月1日、自民党党紀委員会において9月29日に提出していた離党届が了承された。

    さらに同日、慶應義塾大学に復帰することが明らかにされた。

2006年(平成18年)9月15日、任期を4年近く残し政界引退を表明。

     同年9月28日、参議院本会議で辞職許可(これに伴い神取忍が比例繰上当選)。

     同年11月1日、自民党党紀委員会において9月29日に提出していた離党届が了承された。

     さらに同日、慶應義塾大学に復帰することが明らかにされた。

国務大臣の在任期間1980日(2001年〈平成13年〉4月26日 - 2006年〈平成18年〉9月26日)は、

2018年(平成30年)5月29日に2012年(平成24年)の第2次安倍内閣発足時から国務大臣在任中の菅義偉内閣官房長官、麻生太郎財務大臣

     (両者2018年〈平成30年〉5月29日時点で1981日)に抜かれるまでは戦後の連続最長在任記録であった。

小泉政権後

小泉政権後は、

慶應義塾大学総合政策学部の教授[20] のほか、

同大学グローバルセキュリティ研究所所長、

日本経済研究センター特別顧問、同センター研究顧問、

森ビルのアカデミーヒルズ理事長、

関西大学会計専門職大学院の客員教授を務めている[21]。

河野太郎、山本一太、世耕弘成らが結成した勉強会「プロジェクト日本復活」では顧問に就任している。

また、人材派遣業のパソナにて特別顧問を務めたのち、

同社の親会社であるパソナグループの特別顧問を経て取締役会長に就任した。
2025/05/18(日) 05:41:53.95ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>82
顧問団

2008年(平成20年)には韓国政府のアドバイザーとして顧問団に迎えられ、

「当時の韓国大統領の李明博という人物の颯爽と物事に対応する姿勢や前向きな政策論など、李明博が持つ並外れた強さに大いに感銘を受けた」と語っている[22]。


公募委員

2012年(平成24年)9月、日本維新の会が、2012年衆院選の候補者を、選定するための「公募委員会」委員長に起用された[23]。

安倍政権

2013年(平成25年)1月8日、第2次安倍内閣では、日本経済再生本部の「産業競争力会議」メンバーに内定[24]。

     現在は、民間議員という立場にある[25]。

2014年(平成26年)1月からは、内閣府に置かれた、国家戦略特区の特区諮問会議メンバーとしても、活動をしている[26]。

     同年1月6日、田原総一朗、宮内義彦ら共に、NPO法人の万年野党を設立。

     同年5月31日、国家戦略特区のシンポジウムを東京、六本木で開催した[27]。

2015年(平成27年)には、オリックス社外取締役及び新生ホームサービス株式会社特別顧問に就任した。

2016年(平成28年)、慶應義塾大学を定年退職し、東洋大学国際地域学部教授及び同大学グローバル・イノベーション学研究センター長、

             SBIホールディングス社外取締役。

             また、藤田勉一橋大学特任教授の誘いで、RIZAPグループ経営諮問委員会委員に就任[28]。
2025/05/18(日) 05:48:37.18ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>83
政治家として

金融再生プログラム

→詳細は「金融再生プログラム」を参照

金融再生プログラムは通称「竹中プラン」と呼ばれ、不良債権処理を推進すると就任時に演説した小泉総理の命を受け、

経済財政政策担当大臣に着任、その後の内閣改造では金融担当大臣を兼務した。

竹中の手により不良債権処理プログラムが作成され、銀行の資産査定についてDCF法を採用し厳格化すること、

繰延税金資産の計上を適正化すること、自己資本比率の劣る銀行は公的資金を注入することなどの方針が定められた[29]。

資産査定を厳格化した結果、りそな銀行の自己資本比率は基準を下回り[30]、足利銀行は債務超過であることが判明した[31]。

これらの銀行は預金保険機構により公的資金注入を受け、また粉飾会計を行っていた経営陣は後に刑事告発され有罪判決を受けた。

研究開発費の一律費用処理

会計基準の見直しにより、繰延資産の「試験研究費」を廃止し、研究開発費の一律費用処理を求めた。

これについて、田淵隆明はSAPジャパンのコラムや衆議院の消費税の公聴会などで、

我が国の製造業の弱体化と人材の流出の元凶であるとして早期の是正を求めている[32]。

研究開発投資は設備投資よりリスクが高いとみるのが一般的である。

しかし、研究開発投資と同様、設備投資も失敗に終わることは珍しくなく、

そうした場合は未償却部分を減損損失として処理し、最悪の場合には埋没費用として処分のための新たな費用を計上する。

これらのことを鑑みれば、設備投資に準じて扱うべき研究開発投資が多々存在することもまた事実である。

ところが、日本では単年度ベースでの一律費用処理を求めることとなったため、製造業の弱体化と人材の流出の元凶となっているというのが田淵の主張の主旨である。

田淵によれば、G7では日本を除く英、仏、独、伊は、もちろんのこと、米、加でも償却資産として資産計上することが可能となっている[32]。

実務的には、多くの研究開発案件を抱える大企業は研究開発費用を経年で平準化させ得るが、

対外的に収益性を重視せざるを得ない中小企業(近々の株式公開を目指していたり銀行融資に対する旺盛な資金需要を有する伸び盛りの企業等)では、

研究開発費の一律費用処理はむしろ悩みの種となる。

このためこの問題は現在でも論議を呼び起こしている。
2025/05/18(日) 05:55:59.49ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>84
政民営化

→詳細は「郵政民営化」を参照

郵政解散後の第3次小泉内閣にて総務大臣兼郵政民営化担当大臣に起用され、法案作成に携わった。

三ヶ月間の政府与党協議では特に徹底して罵詈雑言を浴びせられ[33]、

前任の総務大臣である麻生太郎とは激しく対立し麻生からは、

「あんたは霞ヶ関に嫌われている。あんたが言うから、皆反対に回る」[34]、

また官邸閣議では参加者から「いつか仕返ししてやる」と吐き捨てられた[35]。

当初、野党民主党は欠席戦術を敷いていたが、郵政解散後は審議に参加するようになった

(#郵政民営化広報チラシ問題・#「アメリカ追従」批判)[36]。

税制

「日本の論点 '99 」(文芸春秋、1998年発行)の中では、

竹中平蔵は戦後日本の極端な累進課税制は「悪しき結果平等」の価値観を普及させたとして、

資本・労働など生産要素に対する課税を大幅に低下させ、かつ税率をフラット化する「フロンティア型の税制」を推奨している。

各労働の潜在能力を積極的に発揮させる意味で、所得税の最高税率を引き下げることが緊急の課題であるとしている[37]。

サラリーマンのうち30%は所得税を一銭も払っておらず[38]、

勤労意欲を失うような税制にすべきではない[39]、

価値を産みだしている人を罰するつもりでないのなら、税にあまり差を付けない方がいい[40]としている。

また、将来的には、収入に関係なく一律に課税する人頭税へ切り替えることを視野に入れた議論を行うことも必要だとしている[37]。
2025/05/18(日) 06:13:27.02ID:7DmjjbGS?2BP(9999)

>>85
やっぱり普通ではないわな

言っている事はちんぷんかんぷん、これの所為で被った社会的影響は計り知れず未だ蔓延っているけども、まあ、麻生さが言うなら時間の問題だわ

阿呆やげ

パンピーはこういうところでいかんのだわ

人頭税とか世間知らずというか開いた口が塞がらないわ

タワケやげwww

ハハハ

こんなジンが居ったのかw


まあ、お坊ちゃんは世間は知らんけども、見る目はあるでなあ

互いに嫌いあったりしないし率直な物言いするのが特徴だで麻生さが言った通りになったわ

価値とは何か

ここから問い詰めたいなあ


価値を生み出しても収入のない人もおるし、資産を搾取されたり没収される人もおる

勤労意欲というのは別に金銭や税制は関係無いわ

人間にとって最も苦痛なのが何もやらせてもらえない何も自由も無い死を待つだけの状態だからだわ

苦痛から逃れる為ならば人だって殺して刑務所で労役という仕事をして安心している人間だっているものだでねえ

それ故、機会の提供が得られない事や依怙贔屓があるのはいかんのだわ

このジンが先ず真っ先にやることは寄附だわ

ドネることだわ

何をドネるかってか

知らん
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