今の日本は戦争を仕掛けた戦前そっくり

いよいよ臨戦態勢に入った。今週末に開幕する東京オリンピックを指してのことだ。

 これまで、新型コロナウイルス感染症の対策にはじまり、東京オリンピックの開催実現に向けての政府の姿勢を、太平洋戦争真っ只中の日本軍の作戦の失敗、あるいは開戦へと向かう日本の姿と照らし合わせてきた。東京都に緊急事態宣言が発出されるほど、感染対策が急務であり脆弱である中での東京オリンピックの開催は、兵器物量に勝る敵国軍に精神力で戦いを挑んだ日本の姿と変わらない。

 だとすると、東京オリンピックの開幕は、開戦と呼ぶに相応しい。あるいは、すでに選手村が開村して、選手や大会関係者らの日本への入国がはじまっているいま、もはや開戦状態と言っていいのかもしれない。

■ 日米開戦に多くの国民は拍手喝采を送った

 ただ、あの当時の日本と現在の日本の状況では、決定的に違う状況がある。

 日米開戦に向けて、当時の日本国民の多くはそれを望んでいたことと、数日後に迫った東京オリンピック開幕に向けては、多くの日本人がそれを望んではいない、ということだ。

 1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃。その一報が伝えられた朝刊を読んだ父は、外に出て万歳三唱をした――。私はかつての日本兵から直にそういう話を聞いたことがある。終戦後も自らの意思で復員を拒み、兵隊として送り込まれた東南アジアで戦後を生き抜いた元日本兵たちにインタビューをした、その中の逸話のひとつだった。もう十数年も前のことになる。
 詳細は拙著『帰還せず 残留日本兵戦後六〇年目の証言』(小学館文庫)に求めるとして、それが端的に当時の様子を物語るものだが、戦地に留まった元日本兵たちの話を聞くと、総じて日本国民は戦争を望んでいたことがわかる。あるいは、そうした空気に包まれていた。日本兵として送り出されることに彼らの中にも誇りが感じられた。

 それは私見に限るものではない。日本学術会議の会員候補者が菅義偉首相から任命を拒否された6人のうちの1人、加藤陽子東京大学教授の著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)を一読すれば、多くの日本人があの戦争を望んだ現実と事情を裏付ける。もっとも、負ける戦争と自覚していたかどうかは別だ