大正十一年十月、大学昇格のため附属病院が必要と考え中原徳太郎は
渋谷町に移転する「財団法人皇典講習所・国学院大学」より麹町区飯田町の
土地千四百四十七坪と建物八百十坪を購入した。
購入価格は三十万円、同窓会からも、寄附金二万九千円があつた。

ところが一度も使用せぬまま、関東大震災によつて総ての建物は焼失してしまつた。
その時の苦しみを中原(徳太郎)は次の如く報告している。
「九月一日午前十一時五十八分、東京附近大震災に雲はれ、大廩高楼相尋ねて倒潰し、
火災は八方に起り、焔は天を焦がしたるも、本校並びに本郷附属病院は軽度の災害を
被れるのみにして、其の厄を免れれたるも、
不幸にして、飯田町附属医院は、午後三時頃、類焼し、建物八百十四坪は全部烏有に帰せり」と。