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――研究開発体制を変革したようですね。

研究開発(R&D)では、相当な変革を進めました。変革の実行は、日本だけでなく、米国、英国、すべての研究開発拠点の従業員にとって、とても厳しいものでした。

――具体的にはどのように変えたのですか?

製薬会社の伝統的な研究開発では、病気を治すための特定の受容体(細胞に含まれるたんぱく質)などの「標的」を選び出し、200万種類もの分子の中から、そのターゲットに有効な分子を探し出す、スクリーニングという作業をしていました。
武田では、高血圧、糖尿病、呼吸器疾患など、とても幅の広い病気に対してこうした作業をしていました。ところが、今は一つの標的を決めて、それに有効な分子を「デザイン」する手法に変わりました。スクリーニングをする必要性が少なくなったのです。
かつては200万種類もの低分子を扱っていましたが、今は高分子など最先端のものを扱っています。

私たちが決めたのは、研究開発でいくつかの疾患領域に集中し、その代わりターゲットにした疾患領域で最高のチームを作ろうということでした。そして、高い技術を取り入れるために積極的にパートナー企業を探そうと。
そこで私たちは、消化器系疾患、がん、神経精神疾患の3つの分野だけを選びました。

現在、私たちはバイオテクノロジーのスタートアップや大学・教育機関などと180以上のパートナーシップを結んでいます。その大半は米国ですが、日本でもおよそ30のパートナーシップを結んでいます。これは本当の意味でグローバルなパートナーシップです。

――社内の陣容はどう変えたのですか?

まずは、研究開発部門を率いることができる経験を持った、新しいトップを探す必要がありました。現在のトップは15年前半に入社しています。今では、神経精神疾患の研究は日本、消化器系疾患とがんはボストンでおこなっています。
欧州の研究施設は閉じました。研究者たちが選んだ道は、子会社やパートナー企業に移ったり、再訓練を受けたり、会社を辞めたりとさまざまです。日本人の研究者も約100人がボストンに移りました。これはとても大きな変化でした。
ですが、もしこの変革をしていなければ、シャイアーの買収提案はできなかったでしょう。

――従業員からの反発はありましたか?

とても精神的につらい時期でしたが、こういう状況こそ、従業員とのコミュニケーションや関わりが相当求められると思います。
実際に現場に行き、なぜ変革が必要かを丁寧に説明する。私はこの変革を喜んでやったわけではないですが、会社の将来にとって絶対に必要だと思ったので実行しました。

当時、武田が最後に開発した本当の意味で革新的な医薬品は、1990年代後半に発売したものでした。つまり、この会社は革新的な製品を約20年間生み出せてこなかったのです。
何かをしなければならなかった。世界の状況がより厳しくなっているなかで、同じやり方を続けるわけにはいかなかったのです。