安藤昌益の『自然真営道』を一気に読んでみたんだけれども、彼は人間は死んでも
また人間として生まれてくると信じていたようだ。これは安藤昌益だけではなく、
日本人の死生観として存在していたことが、柳田国男の『故郷七十年』で証言して
いる。『稿本自然真営道』東洋文庫402、平凡社の142ページの9行目〜10
行目に「幾たび生死すとも、転・人に離るること無し」と書いてある。昌益は人間
は何度も再生すると考えていたようだ。あと同じ安藤昌益の『統道真伝(上)』青
7−1岩波文庫の「自然定水進退は生死の論」274ページの4行目〜5行目に「
人の身は作水なる故、死して水土に帰りて絶無するに非ず。土水に帰る則、人より
水に往く。水は乃ち水なり。人に生まれ来る」と書いてある。

死ねば永久に無になると言う思想は、ギリシャ哲学とキリスト教の融合の後に、キ
リスト教崩れの哲学者や科学者に依ってもたらされた誤りではなかろうか。共産主
義もキリスト教から生まれた思想であることを多くの人は知らない。キリスト教や
宗教を否定するあまり、宗教が追究してきた、「私はどこから来たのか、そして(
死んだら)どこへ行くのかと言う問題を真剣に科学しようとする姿勢を放棄してし
まっている。