京都の話がでてるから真面目な話をする。

ワシは昭和54年同志社大学入学。
時はすでに学生運動は衰退していたが、京都は別世界だった。民青に支配されていた立命館、新左翼各派が入り乱れていた同志社、京大、京都府立医大、民族派が強かった京産大。
同志社に入学したワシは、学内が新左翼に牛耳られていた事に愕然となり、対抗するため民族派セクトに身を投じた。高校時代から民族派運動をしていたから何の躊躇も無く必然的であった。新左翼の連中とは武闘闘争が日常茶飯事だった。
ワシの3年後輩に、万場世志冶(まんばよしはる)がいた。ワシが卒業した後、万場は関西民族派学生のリーダー格となっていた。
そして、各種行事を終わらせた 
昭和61年12月20日早朝。
学生服で京都御苑から皇居遙拝しながら、古式に則り、まず腹を切りそれから頸動脈を切る壮絶な自決を行った。
社会人となっていたワシは一報に接し放心状態となった。あの温厚でおとなしかった万場がまさか割腹自決するとは。それに比べ死ぬ勇気なんか無いワシは、社会人として世俗にまみれて享楽的になっていた.純粋な万場に比べ自分のクズぶりがはずかしかった。

万場世志冶
同志社大学文学部3回生
昭和61年12月20日京都御苑にて割腹自決
享年22歳    合掌