幕府は横浜村に設営した応接所で外交交渉を行った
交渉の結果、嘉永7年/安政元年(1854年)に横浜村で
日米和親条約が締結され、安政5年(1858年)には
神奈川沖・小柴(現・八景島周辺)のポウハタン号上で
日米修好通商条約が締結された
この通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、
横浜の都市開発の発端となった

幕府は、東海道に直結し、当時既に栄えていた神奈川湊を避け、
外国人居留地を遠ざけるため、対岸の横浜村を
「神奈川在横浜」と称して開港地とした
横浜村には、短期間で外国人居留地、深谷市在の笹井万太郎に
よる波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、
安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港は開港した