テクノと公害2

もし日本の“王国貴族”が宗教(呪術)的に神聖であれば
インナーサークルに「穢れのある家の者」入れたりはしないだろうけれども
「公害病問題で知られた家の者」を日本の“王侯貴族”は迎え入れたはずなのである、
「公害」の多くは特定企業が外部に対して直接被害をもたらすものとするなら
「環境破壊」という言葉に置き換える必要はなかろう、
「環境破壊」という言葉は、特定企業を匿名性で覆い隠すグローバリズム概念ともいえるかもしれない(ベートーヴェンが
検視上は多臓器不全だったのであれば水質汚濁の話は無いとはいえないはずなのである)、
音楽史に意味があるかは別として、音楽史で重要なのは「アカデミズムの外からルーブルを
目指したかのようなセザンヌ」に似て「保守的な古典音楽の枠組みの中で作曲家の新しい有りかたを
体現したかのようなブラームス」と思われる(そこにブラームスの才能への挑戦があったのではと)、
仮に「才能:才能以外」を、モーツァルト「7:3」、ベートーヴェン「5:5」、ブラームス「3:7」だとすると
つまり、ベートーヴェンの壁を乗り越えるためにブラームスは
少なめの才能で「伝統的な手法によって音楽は
知性や努力で構成できる」道を拓いたのであろうし、また‥‥