「愛子さまのお顔は荒んだ人々の心を救う」宮中茶会で懇談した写真家・藤原新也が皇室典範改正への危惧を特別寄稿
2026/07/25 11:00
https://jisin.jp/koushitsu/2592856/

『東京漂流』『メメントモリ』などの作品で知られる、写真家で作家としても著名な藤原新也さん(82)。長年、日本の写真界を牽引してきた藤原さんが、日本芸術院賞を受賞したのは今年3月のこと。そして7月6日、天皇皇后両陛下は、皇居・宮殿で受賞者らを招いての茶会を開催された。藤原さんは茶会で懇談した愛子さまの佇まいに衝撃を受けたというが、その理由と皇室典範改正への危惧を本誌に寄せた。(以下は藤原さんの寄稿)

今回たまたま本年度の日本芸術院賞という皇室の関わる賞をいただいたことによって皇居・宮殿でのお茶会に招かれました。そのお茶会の席で皇室の方々とどのような会話がなされたのかそのことをよく尋ねられます。しかしそれはあまり大きな意味のあることだとは思っていません。あのような場所での会話は儀礼的なものも含まれていますから、会話そのものによって互いの人格を推し測ることは難しい。

それよりひとりの写真家の眼に皇室の方々はどのように映ったかということ。ここですね肝は。

愛子さまは私の左斜め前に座られていた。

写真家というものは、特に女性を前にすると撮りたいか撮りたくないかという眼の欲求や判断が生じるものです。特に私の場合はよほど自分の感性にかなった人でないとシャッターを押さない。

ところが愛子さまには久しぶりにこの女性を撮ってみたいという衝動に駆られたんです。

7年前にパリコレのバックヤードで、他のたくさんのモデルとは異なった雰囲気を醸して隅っこの方に座っていた一人の女性を撮って以来のことです。遠くは引退後の三浦百恵さんですかね。撮り心を誘われたのは。

昨今の日本の若い女性は綺麗な人はずいぶん増えました。メイクも上手になったし、個性は出しているが、その皮膚の下はみな同じです。これは生まれた時から皆同じ膨大な情報の中で生きて来たわけですから致し方のないことです。

ただ愛子さまの場合は同じ二十代でありながら何かが違う。昨今の一般的な綺麗さの基準とは異なり、自然の一部というのですか、ちょうど卓の上にクチナシの白い花が生けられていましたが、それと同じような雰囲気を醸しておられた。

だいたい人は花の佇まいには負けますが、それと同じような佇まいでいるというのは大変なことなんです。その綺麗さに奥行きがあるんですね。

昔はそういう女性は居たように思いますが昨今はとんとお目にかかれなくなった。当然撮りたい衝動に駆られましたが撮影が叶わないことに、大切なものを撮り逃しているような残念な思いが生じたまま、後ろ髪を引かれるような思いで宮殿をあとにしました。

ところがその直後にあることが起こった。

夕刻の皇居を西門に向かって車がゆっくりと走っている時、その左手の車窓に一瞬よぎった風景に私の眼は釘付けになりました。

それは広大な皇居のあちこちにあるお濠のひとつでした。鬱蒼とした原始の森に抱かれた、そこには太古の山椒魚が住んでいるかのような静けさが漂っていました。のちにグーグルアースで見ると対岸まで200メートルくらいのようでしたが、私の目には何キロもあるように見えました。そのお濠が目の前をよぎったとき、なぜか今しがたお目にかかった愛子さまのあの顔(かんばせ)がそれと重なり合ったんです。

それと同時に10年ほど前、福岡県の玄界灘に浮かぶ沖ノ島に上陸した時のことを思い出しました。沖ノ島は一般の方は入島禁止の島であり、世界遺産にもなっているわけですが、私はこの沖ノ島で禁足の森という、人が入ってはならない森にはじめて入らせていただきました。

その原始の森が発散している空気感と、この東京のど真ん中にある森に囲まれたお濠が、全く同じような雰囲気を醸していることにたいへん驚いたわけです。

人というものはその置かれた環境を鏡のように映す動物です。10代から20代にかけての女性の場合は特にそうです。

つまり皆その環境を自分の身に刻一刻映しつつ生きている。

そこで車窓の向こうに過った皇居のお濠を見た時、30分前のお茶会での謎が一瞬にして解けたという思いが生じたんですね。