新潟水俣病(第二水俣病)は、昭和電工鹿瀬工場から新潟県の阿賀野川へ排出されたメチル水銀が原因で起きた水銀中毒の公害病です。
1965年(昭和40年)5月に公式確認され、汚染された魚介類を食べた住民に神経障害などの深刻な健康被害をもたらしました。
原因と発生の仕組み【昭和電工】鹿瀬工場がアセトアルデヒド製造の際に出した排水を阿賀野川へ流した。排水に含まれていたメチル水銀が川の魚介類に蓄積した。その魚を地元の人々が食べたことで中毒症状が起きた。

現在の状況公式確認から60年以上が経過した現在も、被害者の救済や損害賠償をめぐる裁判・話し合いが続いています。被害者は病気の苦しみだけでなく、社会的な差別や偏見にも苦しめられてきました。現地では、新潟県立環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)などを通じて教訓を後世に伝える取り組みが行われています