以前も書きましたが、1960年に保険医総辞退直前まで行き、1971年に保険医総辞退実行により
著しく釣り上げられた診療報酬を受け取るに妥当な医師集団は、およそ1970年以降の急激に
難化した国公立医卒と国民皆保険実施以前のおよそ1960年以前の旧帝(+旧帝格慶応)・旧六(+旧六格京府)のみ。

(1960年ごろから1970年ごろまでの過渡期の過渡期なので、各大学の難易度に合わせて補正)

1960年ごろまでの旧六(+旧六格京府)でも、1970年以降の診療報酬は若干多めかもしれないが、まあ、誤差としましょう。
根拠はすでに記載したように、
・国民皆保険直前の京大・名大では旺文社模試の合格者平均点が工≧医(なぜか京大では若干だが薬>医で驚いた)
・保険医総辞退の翌年1972年の代ゼミ模試の偏差値では医>>工
・私たちの頃は、底辺国医よりも偏差値の高い非医は、東大、京大、阪大、東工大程度だったと記憶している
 (地帝、千葉あたりでも年によっては底辺国医と並んだりしていたこともあるが、確実なのは1行前の4校程度ではないかな?)

国民皆保険制度は、全国民の負担能力に応じて保険料を拠出し、さらに税金を投入している。
所得税は超過累進課税なので負担力に応じているし、法人税も原則定率なので負担能力に応じている。

大学入学の難易度は、その時代の受験生と保護者が、およそ将来の期待予想収入の評価と相関すると
考えられる。なぜ、国民皆保険実施により、それ以前は旧帝・非医にも学力や学歴(学修年限)の
はるかに及ばない医学専門学校卒の医師達の診療報酬で、医専よりも難易度の高い旧制高等学校し
旧帝・非医に進学した大手企業サラリーマンが支払うことのできないほどの高額な私立医授業料を払えたのか?

モータリゼーション進展前に、まだ旧帝・非医卒のサラリーマンが車を手に入れていない時に、
医師会の駐車場には外車ばかりになるほど診療報酬が高かったのか?

今一度、確認のために書きますが、国民皆保険制度は、国民の負担能力に応じて保険料を拠出し、
さらに税金を投入していますが、過去50年にわたる集団としての医師への過剰報酬の修正なくして
国民にさらなる負担を強いることの合理性は見いだせない。