>>502
水戸黄門で稼いでたのは電通ぐらいのもんで、実は東映京都撮影所も赤字が
続いて閉鎖される事になったが逸見稔が東映社長の岡田茂の頼み込んで、
新たにリストラ等を行い組織をスリム化した東映太秦映像を作ったが赤字は
ずっと続いた、途中で作った映画村が案外好評で何とか存続した。東映太秦映像(神先頌尚談)。

実は松下電器の中でも莫大な製作費がかかる上にどちらかというと広告というより
社会貢献の側面が多かったので視聴率40%超えを超えていた東野期に打ち切り話が
上がった「年寄番組としての役割は充分果たした」と。当然、逸見稔は大反対。
結局、当時の社長の松下正治がこれだけの高視聴率はお年寄りだけが見ているので
あればありえない、この番組を作る事は社会的な使命と番組継続を後押しして続いた。