>80歳 西英子主婦(2018/01/12 声 朝日新聞 東京)

▼「戦争の結果」直視し憲法守って======https://digital.asahi.com/articles/DA3S13309176.html

 3日掲載の「焼き場に立つ少年」の写真を見た。原爆投下後の長崎で亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。
当時の軍国少年は泣くのを許されなかったので、直立不動で唇をかみしめている。

 私はこの少年と同世代。日中戦争が始まった1937年に生まれた。太平洋戦争末期には、私の住む小さな町からも毎日、
近所のおじさんやお兄さんが召集され、日の丸を振って駅へ見送りに行った。

 その中には叔父もいた。戦争が終わってすぐ、戦地へ行った大人たちも叔父も白い箱になって帰ってきた。
遺族は声をあげて泣いた。「45年8月15日よりもっと早く戦争が終わっていたら……」と子供ながらに思ったことが忘れられない。
写真の少年も、戦争が終わって、初めて泣いたことだろう。終戦がもっと早ければ、長崎に原爆は投下されず、少年の弟は死ななかったのに。

 この写真入りのカードを配布したローマ法王の言葉通り、まさに「これが戦争の結果」だ。

 先の戦争の反省のうえで  獲得した平和憲法  を変えてはならないと切実に思う。

====(愛知県)====

「獲得した」誰から?何処から? それ以前に「平和憲法」じゃねーんだよ。