10月15日(月)朝日新聞東京版朝刊「声」欄

気絶した新兵 叩き続けた上官   無職 内田豊(福岡県 88)

父の反対を振り切り、海軍飛行予科練習生(予科練)になったのは1945年春。
15歳だった。配属先は宝塚海軍航空隊陸戦隊。戦況悪化で練習機もなく
飛行機乗りの夢は消えた。

何かと制裁を受けた。海軍精神注入棒なる直径15センチほどの木の棒があり、
手旗信号を読めなかった時は尻に5発くらった。しゃがめなくなって半月ほど
四つんばいで用を足した。父は正しかったと何度涙したことか。

ある日、分隊長の講演があった。ミッドウェー海戦の惨敗など聞いたこともない話を、
信じられない思いで聞いた。だが、毎日の訓練で疲れ切り、思わず舟をこぐ者も
多かった。

講演後、分隊長が退出すると「待て」がかかった。海軍の「待て」は絶対だ。
班長が一人を指さし「貴様、寝ておったろう! 海軍精神注入棒50本!」。

一発で彼は「ウン」とうなって倒れた。気絶していた。だが班長は「誰か支えろ」と
命じ、50発叩き続けた。「海軍は死のうがケガしようが言ったことは最後まで
やり通す。覚えておけ!」。思わず身震いした。

気絶した彼はグシャグシャになった尻の肉と骨が離れ、終戦まで退院できなかった
そうだ。
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旧日本軍で、こういう事があったというのは分かるが、
敢えて今、この投稿を掲載した所に、意図的なものを感じる。
「憲法改正されれば、再びこういう時代が来る」と印象操作したい訳だな。