産経抄 12月31日

 作家の幸田文に、「些細なつらぬき」と題した随筆作品がある。他人から見れば、とるに足らないことでもいい。一生かけて守り続ければ、自分にとって大きな力になる、と説いている。

 ▼幸田文が14歳のころから心がけてきたのは、「ふきんをきたなくしておかないこと」だった。原稿用紙にして1枚半にも満たない随筆である。それでも孫の青木奈緒さんによれば、幸田文を知らない人に一編だけ紹介するとしたら、迷わず選ぶ作品だ。

 ▼〈去年今年(こぞことし)貫く棒の如(ごと)きもの〉。高浜虚子の代表作の一つに数えられる。「禅の一喝に遇(あ)ったようだ」。
川端康成が、鎌倉駅に掲げてあるのを見つけて激賞した。句が詠まれた昭和25年の暮れといえば、戦後の混乱が続くなか、朝鮮戦争が始まっていた。確かに76歳の虚子が、騒然とした世相に向かって、「うろたえるな」と一喝しているかのようである。

 ▼大晦日(おおみそか)である。令和元年も多難な一年だった。トランプ米大統領の外交政策は相変わらず迷走が続いた。中国、そして北朝鮮との交渉の行方は依然として予測不能である。

 ▼新しい御代(みよ)をつつがなく迎えた日本だが、いくつもの難題を抱えている。少子高齢化は予想を超えるスピードで進み、台風被害の拡大は、防災対策のほころびをさらけ出した。
歴代最長となった安倍晋三政権の気の緩みも気になる。ニュースの激流に翻弄されながら、一つのことを貫いて原稿に向かってきたか、わが身に問いかけてみる。

 ▼来年は待ちに待った東京五輪・パラリンピックの開催だが、浮かれてばかりもいられない。日本という国にとって、守り続けるべき「つらぬき」、「棒の如きもの」とはなんだろう。そんなことを考えながら、コラムを書いていきたい。