産経抄 6月11日

 アルツハイマー病やパーキンソン病など、発見者の名前がついた病気は少なくない。全身の血管に炎症が起こり、主に乳幼児に発生する川崎病もその一つである。
もっとも、川崎市の病気との誤解はなかなか解けなかった。「川崎のぜんそくに取り組まれているそうで」。発見者の川崎富作さんは、面識のない医師からこんな手紙を受け取ったことがある。

 ▼すべての始まりは、日赤中央病院に勤務して11年目、昭和36年1月の夜だった。入院した4歳の男児の症状は、猩紅(しょうこう)熱に似ていたが、いくつかの点で矛盾がある。
やがて回復した男の子のカルテには「診断不明」と書くしかなかった。

 ▼翌年2月の当直の夜、急患で来た2歳の男児の症状がまったく同じだった。川崎さんは、従来の医学書に書かれていない、未知の病気の存在を確信する。もっとも、それからの道のりは長く、険しかった。

 ▼新しい病気として学会で報告しても、反応はない。その後患者が増え続けても、学会のボスは認めようとしなかった。1974(昭和49)年にようやく国際学会での発表がかなう。
世界保健機関から「川崎病」が公認されるのは、その4年後だった。

 ▼病気の原因は現在でも不明である。新型コロナウイルスに感染した子供が川崎病に似た症状を示している、との報告が欧米で相次いでいる。あらためて病気が注目されるなか、訃報が届いた。95歳だった。

 ▼東京・浅草に7人姉弟の末っ子として生まれる。「せめて一人は医者になってほしい」。川崎さんは母親の願いをかなえた。なぜ小児科を選んだのか。
小紙の記者の質問への答えは、「僕自身が子供っぽいんじゃないのかな」。けん玉が趣味で、海外の研究者たちにも、腕前を披露していた