産経抄 12月27日

 歳末の買い出しで訪れた近所の量販店に、ケーキが並んでいた。売れ残りなのか、どれも値引きされ、売り場は混み合っている。その中で長い間、思案顔をする親子がいた。手を引く小さな男の子に「ほら、円いケーキだね」と母親が語り掛けた。

 ▼「ほんとだね。ちょっと安いね」とは男の子である。「これ買おうね」「いいの? 円いケーキだよ?」。そんな会話が聞こえてきた。家族構成も家庭の事情も知らない。小さく切り分けた一片が、男の子の普段目にする「ケーキ」だということは何となく分かる。

 ▼派手な商戦が続く中、幼い胸が高価な品にくすぐられても不思議はない。それがゲーム機でもなくスマートフォンでもなく、ささやかな品物に笑み崩れた。男の子にとって誰も手を付けていない「円いケーキ」は、大人の思う以上に値打ちのある贈り物なのだろう。

 ▼大人も子供も不便を覚えたこの1年、とりわけ窮屈を強いられたのが子供だった。一斉休校で友だちとの交わりを断たれ、外での遊びも制約された。家にこもり背を丸めた「新たな日常」は、切り刻まれて原形のない「円いケーキ」を味わうような日々だったろう。

 ▼手を洗えばコロナウイルスを遠ざけることはできる。心は、そうはいかない。〈人間は心を洗う手はもたないが/心を洗う心はおたがいにもっている筈(はず)だ〉(小熊秀雄『乾杯』)。親子が教えてくれたのは、コロナの毒々しい突起物から心を守るすべかもしれない。

 ▼男の子が口にした、角のない言葉を唱えてみる。「円いケーキ」。お得な、そして温かな買い物をしたのは小欄だったといまにして思う。ささくれ立った心を洗う干天の慈雨に思えなくもない。年の瀬の街角に降ってきた、少し早いお年玉である。