産経抄 1月1日

 「午前八時起床、直ニ身体ヲ清メ朝食ヲ畢(おわ)リテ後、家人ノ年賀ヲ受ク」。昭和5年1月1日、渋沢栄一が日記をこう書き始める。まもなく年賀の客がやって来る。午前11時には、自ら設立した第一銀行に向かう。
 ▼頭取以下行員たちと祝杯を挙げて、訓示を垂れる。銀行を出て、孫一家の家に寄って帰宅すると、また多くの客の相手をする。夕食の後はラジオを聞いて、就寝するのは夜11時。さすが「四十、五十は洟(はな)垂れ小僧」と喝破した人物である。89歳の老人とは思えない多忙な1日を過ごしている。
 ▼91年の生涯で500以上の企業の設立にかかわった渋沢は、令和6年度から「一万円札の顔」となる。今年のNHK大河ドラマの主人公でもあり、改めてその事績に光があたる1年になりそうだ。
 ▼渋沢の出身地である埼玉県深谷市では、9年前から小学校や中学校の授業で、郷土の偉人を取り上げてきた。小学校高学年の副読本には、関東大震災に際して渋沢が残した言葉が、紹介されている。「だれかに何かをしてもらうことを考えるのではなく、今の自分なら何ができるかを考えることが大切である」。
 ▼帝都復興は、日本人離れした壮大な発想から「大風呂敷」と呼ばれた、後藤新平内相が中心になって進められた。昨年刊行された『渋沢栄一−日本のインフラを創った民間経済の巨人』(ちくま新書)によると、民間の立場から大風呂敷のほつれを繕ったのが、渋沢である。
 ▼著者の木村昌人さんは、渋沢が生きていたら財界のリーダーとして、コロナ禍対策に全力を尽くしたに違いないという。感染の広がりを止められない政府を批判しているだけでいいのか。今の自分なら何ができるかを考えながら、今年のスタートを切りたい。