産経抄 1月3日

 偏屈者の八五郎が新年の賀詞を述べにやって来た。減らず口をたたけば鬼も黙るという口達者に、家の主人が吹っ掛ける。「よく来た。フグを食おう」「食わぬ」。実は八五郎、毒にあたらないかとおびえている。

 ▼「怖いか」「怖くない。食べ慣れていないものだから」。その代わり、足が4本のものなら食べると言う。「牛でも馬でも、なんでも」。にやりとした主人は、ここぞと畳みかけた。「それなら、こたつにも足が4本ある。これを食ってみろ」。江戸の小噺(こばなし)である。

 ▼昔は、家庭の真ん中にこたつがあった。〈つくづくとものの始まる炬燵哉(こたつかな)〉上島鬼貫。皆で卓を囲み、おせちをつつく。家に来た年賀状を改め、ミカンの皮をむき、集まった親類縁者と談笑のうちに三が日を過ごす。新年はこたつから、という時代は確かにあった。

 ▼いまは床暖房が幅を利かせているとはいえ、家族が膝を寄せ合うこたつの味わいは見直されていい。コロナ禍で迎えた今年の正月は、各地の神社仏閣で初詣の人出が大きく数を減らしている。ステイホームの要請に応じ、こたつを囲んで過ごした家庭も多いだろう。

 ▼ぬくもりの伝わる句がある。〈家族とは炬燵に足の触るること〉一條友子。八五郎には遠慮を願うとして、「足の触れる距離」を許せる間柄がある。こたつ派、床暖房派を問わず、家にこもったこの三が日は「家族」のあり方を問い直す時間になったのではないか。

 ▼先の小噺には続きがあって、八五郎も簡単には引き下がらない。「食わないこともないが…」と得意の減らず口で切り返している。新春の頭の体操、読者諸賢には助け舟なしで、このオチを考えていただきたい。お題が炬燵だけに、うっかりヒントを出して「あたる」といけねえ。