産経抄 1月14日

 昭和史研究の第一人者である半藤一利(かずとし)さんの妻、末利子(まりこ)さんは文豪、夏目漱石の孫にあたる。戦時中、東京から新潟の長岡に疎開していた時、同級生の妹として知り合った。

 ▼半藤さんの漱石に関する最初の著作となったのが、新田次郎文学賞を受賞した『漱石先生ぞな、もし』である。漱石の号は、夏目金之助が若いころに親友の正岡子規から譲ってもらったものだ。16年後に『吾輩は猫である』を書く段になってひっぱり出してきたのはなぜか。

 ▼実は漱石は一時、北海道に籍を移していた。この「送籍」と関係があるのではないか。これが歴史探偵を自称してきた半藤さんの推理である。送籍の理由については、ぜひ本で確かめていただきたい。

 ▼本格的に昭和史を研究するようになったのは、文芸春秋に入社して数年たってからだ。陸海の旧軍人たちに話を聞いてリポートする仕事を任されたのが、きっかけだった。その数は800人を超えている。34歳の若さで、終戦の玉音放送までの24時間を描き、ベストセラーとなり映画化もされた『日本のいちばん長い日』を書き上げる。

 ▼もっとも管理職になってからは、執筆活動は封印して会社の仕事に打ち込んだ。50歳になって、正月休みに随筆を書くようになった。それを小冊子にして、旧正月に年賀状代わりに知人に送る。半藤さんにとって文章の稽古の意味もあり、退職して文筆業に専念するまで14年も続いた。冒頭の漱石についての著作も、この小冊子がもとになっている。

 ▼2年前に出した自伝『橋をつくる人』には、自分の人生を漢字一字にたとえれば「漕(そう)」だ、とある。東大時代、ボート部の選手だった半藤さんは、昭和史の海を漕(こ)ぎ続けて12日、90年の生涯を終えた。