産経抄 12月24日

 昭和20年の暮れだった。連合国軍総司令部(GHQ)の通訳として東京に赴任していた日系2世のジョージ・アリヨシさんは、7歳の靴みがきの少年と知り合う。寒風が吹きすさぶなか、背筋を伸ばして懸命に働いていた。

 ▼さぞおなかをすかしているだろうと、ピーナツバターとジャムを塗ったパンを手渡した。少年は礼を言って受け取って、そのまま道具箱にしまった。家で待っている3歳の妹といっしょに食べたいというのだ。両親はすでに亡くなっていた。

 ▼「日本はかならず復興する」。後にハワイ州知事となるアリヨシさんは、凜(りん)とした少年のたたずまいに、そう確信した。安倍晋三前首相が講演の際に好んで紹介するエピソードである。安倍氏の祖父の岸信介元首相と父、安倍晋太郎元外相は、アリヨシさんと親交が深かった。

 ▼昨日の「朝晴れエッセー」を読んで、靴みがきの少年の話を思い出した。50年前、クリスマスが近づくと、小学校の給食にアイスクリームのケーキが出た。クラスのなかで、たった一人だけケーキに手をつけない級友がいた。家に持って帰り、弟妹と分け合って食べるという。筆者はその時の級友の心情を思いやる。彼もサンタクロースに感謝していたのだろうか、と。

 ▼以前、靴みがきの少年を職場で話題にしていると、先輩記者が「オレだって」と、思い出話を始めた。米軍基地でアルバイトをしていると、ある日ホットドッグが配られて、かぶりついた。「こんなうまいものを作る国と戦争して勝てるわけないな」。

 ▼先輩は弟や妹のためにポケットに詰め込んだ。帰宅すると、ケチャップで上着が台無しになっていた、というのがオチである。昭和26年、石井英夫さんは早稲田の1年生だった。