産経抄 7月7日

関東大震災で横浜の自宅を失った谷崎潤一郎は、現在の神戸市東灘区に居を定めると今度は洪水に遭う。昭和13年7月の阪神大水害である。死者・行方不明者は700人以上にのぼった。

▼「五日の明け方からは俄(にわか)に沛然(はいぜん)たる豪雨となっていつ止(や)むとも見えぬ気色であった。が、それが一二時間の後に、阪神間にあの記録的な悲惨事を齎(もたら)した大水害を起そうとは誰にも考え及ばなかった」。水害から5年後に雑誌「中央公論」に連載を始めた『細雪』には、水害の場面が出てくる。

▼「六甲の山奥から溢れ出した山津浪(やまつなみ)」の描写は、三島由紀夫から激賞された。自宅にこもって土石流を見ていない文豪は、風聞だけで書いたというから驚くしかない。今月3日の朝、静岡県熱海市の伊豆山地区で家屋が押し流される映像はテレビで何度も流され、あらためて土石流の恐ろしさを思い知らされた。泥に覆われた現場では、今も懸命の捜索活動が続いている。

▼六甲とは、神戸市の北側に連なる山並みを指す。江戸時代に建材や燃料用に木々が切り倒されハゲ山となった。明治に入って植林が行われるようになったものの、山の保水力が十分でなく、被害拡大を招いた。その後は関係者の努力により、緑豊かな山によみがえっている。

▼今回の土石流も人災の可能性が高い。起点となった上流付近の谷では15年前から、宅地造成のために森林が伐採され大量の土砂が盛られた。その盛り土が豪雨によって崩落して、土石流になったようだ。現場近くにある大規模太陽光発電所との関連を指摘する声もある。

▼国土交通省ではすでに、全国の盛り土の調査を始めている。もっとも、その数は5万カ所を超える。「災害列島」という言葉をあらためてかみしめる。