新聞製作の “ 憲法 ” である 「編集綱領」は、
昭和32年2月14日の 中日新聞社「本社支局長会議」で発表された。
発表に当たって『これは基本的な方向を示すもので、編集局長が代わっても
いささかも変更さるべきものではない。
この「編集綱領」を具体的に表現するのが編集方針であり、
編集方針は局長が代われば変化するかもしれないし
時期によっても変わることはありうる』
(鈴木充取締役・編集局長 説明要旨)と強調された。
この「編集綱領」は 杉浦栄三 取締役・新聞研究室長の草案が、そのまま決定を見たものであった。
 
「編集綱領」の起草者である 杉浦栄三 論説主幹は、草案作成に当たっての問題意識を、こう述べている。
 
  戦時はいうまでもなく新聞ジャーナリズムの暗黒時代であり、
  戦後占領下のプレス・コード時代は、いわばその薄明時代だった。
  そのかなたに自由な新聞をのぞみえたとき、まず感じたことは「新聞の自由」という言葉の重さであった。
  しかし新聞の自由があらゆる自由の砦であるためには、
  新聞の側におけるそれだけの自覚と、国民の支持がなければならない。
  それを失ったとき、新聞の自由は空疎な美辞にすぎず、
  ときには新聞の独善になってしまうことを考えさせられた。
 
  いわゆる自由な新聞時代が到来したとき、自由を喜ぶことよりも、大きな不安に直面せざるをえなかった。
  それは滔々として押し寄せる「マスコミ」という用語に包摂され、
  公開の「フォーラム」であるよりも大衆的「商品」性に傾斜がかかって、
  本来のジャーナリズムの機能がいよいよ影を薄くしていくのではないかという不安であった。