6月8日

平成元年7月、警視庁八王子署管内で26歳の男が逮捕される。女児にいたずらをしようとして、父親に取り押さえられた。当時東京と埼玉では、幼女4人が次々に誘拐されて殺害されていた。遺体を切断して「今田勇子」の名で犯行声明文を出すという異常な犯罪は、幼子を持つ親を恐怖に陥れていた。

▼猟奇連続殺人事件とわいせつ犯の男を結びつける見方は、警視庁内にはなかった。捜査本部で内勤業務を命じられていた41歳の大峯泰広さんは、なぜか興味をひかれ、男の取り調べ担当を志願する。「刑事の勘が働いたとしかいいようがない」。後に、ジャーナリストの赤石晋一郎さんの取材に答えている(『完落ち』文芸春秋)。

▼取り調べは8月9日から始まった。大峯さんは前日に男の両親に会い、万全の態勢で臨んだ。最初は黙りこくっていた男は雑談に応じるようになった。やがて事件のカギとなる地名を不用意に口にして、その日のうちに自供する。メディアは大騒ぎである。大峯さんはその後1カ月かけて、宮崎勤という名の男を「完落ち」させた。死刑が執行されたのは、平成20年である。

▼週刊文春の報道で始まったいわゆる「ロス疑惑」は、三浦和義元社長の自殺という衝撃的な幕切れとなった。地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件は、文字通り日本社会を震撼(しんかん)させた。昭和から平成にかけて、多くの重大事件の捜査の第一線で辣腕(らつわん)をふるった大峯さんの訃報が届いた。74歳だった。

▼捜査1課で最後に取り組んだのが、平成12年に起きた世田谷一家殺害事件である。もっとも捜査のやり方で上層部と衝突し、大峯さんは定年前に退職する道を選んだ。

▼「伝説の刑事」はやり残した大仕事を、後輩たちに託した。