6月5日

親の背中は、子が初めて手にする人生の教科書だろう。江戸の小噺(こばなし)にある。父「お前みたいな親不孝はない。近所で何と言ってるか知ってるか」。子「知ってるよ。おやじの昔にそっくりだ、と」。口癖に仕草(しぐさ)、子は親の映し鏡として育ってゆく。

▼時の古今、洋の東西を問わず、子のやんちゃは大人を閉口させてきた。「子供は暴君と同じだ」はソクラテスの言葉という。目上の者への敬いを知らぬ、食事の作法がなっていない、と。よからぬ教科書にかぶれた子供が、古代ギリシャの街には数多(あまた)といたらしい。

▼親不孝であれ、暴君であれ、ぼやける時代はまだよかった。澄んだ水や空気と同じく、年を追うごとに希少となりつつある宝の価値を、改めて胸に刻んでいる。令和3年の出生数は6年連続の減少で、約81万人となった。明治32年の統計開始から最も少ないという。

▼子育て支援は欧米と比べて見劣りし、経済的な不安から結婚をためらう若者も多いと聞く。そこに「老後の資金は2千万円」の追い打ちである。「子供は生んでね。でも、老後の備えも忘れずに」と言われれば、子づくりに二の足を踏む人が増えるのは道理だろう。

▼国の施策はちぐはぐ感が拭えず、企業は内部留保という〝貯蓄〟に忙しい。働く側に余力を養うお金は回らず、育児休業が手厚くなったところで、休むことへの不安は尽きない。子供の数は次代の国の足腰を映す鏡なのに、後の始末は国民に丸投げされた観もある。

▼「負わず借らずに子三人」という。借金なし、子供3人。幸せな家庭の姿だと信じられた時代があった。いまは「子一人」でさえ進学となれば物入りで、住宅ローンに背中を丸める人も多い。読むにつらい教科書を手に、子供は何を思うのだろう。