7月4日

ビーツによる鮮やかな赤紫色のスープが特徴のボルシチは、ウクライナ人の詩人によって日本に伝えられたらしい。幼いころの病気で視力を失ったワシリー・エロシェンコは大正3年、当時のロシア帝国から日本の盲学校で学ぶために来日する。 

▼やがて文化人のサロンとなっていた東京・新宿の「中村屋」に身を寄せるようになった。創業者の相馬黒光はロシア文学の愛好者だった。もっとも、社会主義思想に傾倒したエロシェンコは、国外追放処分となってしまう。 

▼昭和2年にレストランを開設した中村屋は、おそらくエロシェンコから作り方を伝授されたであろうボルシチをメニューに入れた。もともとウクライナの郷土料理が始まりだが、代表的なロシア料理として日本を含めた世界中に広まっていった。

▼ウクライナ国内では近年、ロシアとの関係が悪化するにつれて、ボルシチを母国の料理文化として主張する声が高まってきた。ウクライナ文化省は2年前に、ボルシチを無形文化遺産として、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請した。やはりボルシチを国民食としてきたロシアは当然ながら猛反発する。いわゆる「ボルシチ戦争」の始まりである。今月1日に登録が決まると、ウクライナ文化相は早速、SNSへの投稿で、「勝利宣言」を行った。

▼来年に予定されていた審査が早まった理由は、もちろんロシアによる侵略である。多くのウクライナ人が避難を余儀なくされ、料理を楽しむ余裕は失われた。まさに緊急保護が必要だと認定された。

▼平成25年には、和食が遺産に登録されている。家庭で出汁(だし)をとったり、季節の食材を生かしたりする習慣が失われつつある。つまりボルシチとは別の絶滅への危機感が背景にあった。