>>123
言論による批判を禁じたら、それはもう民主主義ではない。
「殺し合いを罵り合いに進化させたのが民主主義」なんだから。
もし、今回の事件が政治的な理由なら、犯人に対して一片の同情もしない。
なぜなら、政治的自由があるから、(いくら産経が否定しようが)言論や結社という民主主義のルールにのっとって、安倍を批判すればよかったんだから。

でも、「特定宗教」に関しては民主主義が機能していなかった。
アメリカが共産主義の防波堤として育てた某国のカルトと、同じく共産主義の防波堤として育てた某国の政党との子分同士の横の協力関係は、その国にとってのアンタッチャブルだったから。
捨て身のテロの土壌になるのは人々の絶望。
民主主義のルールにのっとって、被害者団体に参加し、「特定宗教」を批判することができ、メディアがそれを取り上げ、政府によって規制がなされ、違法行為があれば罰せられる。
それが行われていれば、犯人は絶望することなかったし、捨て身のテロという弱者の最後の一撃に賭けることもなかっただろう。

安倍ちゃんは、特定宗教が日本と日本人に重大な損害を与えていることを知りつつ、それと関係し、おそらくは肩入れまでしていた。
自分のためなら他人はどうなってもいい、ってことだったんだろう。
そして、それが回り回って、わが身を滅ぼすことになった。
「因果」と言うべきだろうね。