7月9日

 戦争やテロはもちろん、大地震や大水害が起こったとき、小欄のような吹けば飛ぶようなコラムはあまりにも無力である。「ペンは剣よりも強し」という手垢(てあか)にまみれた格言も、猛(たけ)り狂う暴力や自然の猛威の前には、色あせて見える。

▼記者稼業をかれこれ36年もやっていると、世間の塵芥(じんかい)にどっぷりとつかって鈍感力が嫌でも身につく。たいていのことには驚かなくなっていたのだが、「安倍元首相銃撃される」の一報には、思わず「?だろ?」と立ち上がってしまった。

▼そのまま数時間、一行たりとも書くことができなかった。なんとか一命をとりとめてほしい、との願いも空(むな)しかった。「最も強い言葉で非難する」「民主主義に対する挑戦であり、絶対に許されない蛮行だ」などと書いたところで、失ったものの大きさの埋め合わせはできない。

▼たった一発の銃弾で、世界は暗転してきた。米国ではリンカーンやケネディら4人の現職大統領が狙撃され、暗殺された。第一次世界大戦が勃発したのもセルビア青年によるオーストリア・ハンガリー帝国の帝位継承者銃撃がきっかけだった。

▼日本でも大正後期から昭和初期にかけ、原敬、浜口雄幸の両現職首相が暗殺され、青年将校による五・一五、二・二六事件という大規模テロにつながった。それからわずか9年で大日本帝国が潰(つい)えた歴史を忘れてはならない。

▼逮捕された元海上自衛官が、なぜ安倍元首相を襲撃したかは、不明な点が多いが、言論や選挙戦が萎縮してしまっては犯人の思う壺(つぼ)だ。安倍元首相暗殺に与野党が立場を超えて「テロに屈しない」と声を揃(そろ)えたのは、かすかな希望を感じさせる。言葉は決して暴力に負けない。いや、勝つ。及ばずながら小欄も元首相に誓いたい。