8月24日 産経抄

「日本で最初の女性報道写真家になってみないか」。画家志望だった笹本恒子(つねこ)さんは知り合いの元新聞記者に勧められ、「ちょっといいじゃない」と思った。昭和14年に財団法人写真協会に仮入社する。

▼当時の平沼騏一郎首相の首を絞めたと話題になったのは、わずか2カ月後だ。官邸での撮影に助手として同行した笹本さんは、すたすたと首相に近づいていく。「閣下失礼します」と言いながら、曲がったネクタイを直した。首相は目を白黒させていたという。

▼「お嬢さまカメラマン」の活躍が雑誌で紹介されると家族から大目玉を食らい、わずか1年でやめさせられた。報道写真家に欠かせないフットワークと思い切りのよさが発揮されるのは、戦後になってからである。

▼昭和21年、ある式典でテープカットしたマッカーサー元帥夫妻の前で各社のカメラのフラッシュが一斉に光った。笹本さんのカメラのバルブだけが発光しなかった。すぐに夫妻を追いかけて、「エクスキューズ・ミー」と頭を下げて、撮り直しに応じてもらった。小柄な女性カメラマンは係員の目に留まらなかった。

▼三井三池炭鉱ストや安保闘争など、戦後史の現場に身の危険も顧みず駆けつけた。ライフワークとなったのは、有名、無名を問わず、明治生まれで仕事を持つ女性のシリーズである。男尊女卑の時代の中で、目的に向かってひたすら努力した明治女性の気骨にスポットを当てたかった。

▼長い間自分の年齢を明かさなかったのは、女性を年齢で評価する風潮に抗(あらが)ったからだ。96歳で公表すると、逆にカメラに取り囲まれる立場になった。107歳の天寿を全うした笹本さん、101歳の時に撮影された記録映画では、車椅子からカメラを構えていた。