8月29日 コラム 産経抄

「夢」は、「七人の侍」「生きる」など数々の傑作を撮った黒澤明監督が晩年、スティーブン・スピルバーグの支援を得て世に送り出した佳品である。黒澤が夢に見た狐(きつね)の嫁入りや原発爆発などを8つの話にまとめているが、「水車のある村」は、夢に出てくるほど美しい。

▼主人公(寺尾聡)が、清らかな川が流れる村を通りかかると、さんざめきが聞こえてくる。寺尾が「今日はお祭りなんですか」と村の長老(笠智衆)に尋ねると、葬列だという。笠はこう語る。「よく生きて、よく働いて、ご苦労さんと言われて、死ぬのはめでたい」。

▼二人は老いも若きも楽しげに笛を吹いたり、踊ったりしている葬列に加わる。ただそれだけの話なのだが、忘れ難い。

▼黒澤が生まれた明治後期は、人は自宅で亡くなり、亡骸(なきがら)を菩提(ぼだい)寺か焼き場に運ぶため葬列を組み、縁者だけでなく、近所の人も加わった。よく生きた人生を共同体全体で祝う、という彼の夢の原型は古き良き日本だったか。

▼新型コロナウイルス禍が襲って以来、日本の葬儀はすっかり様変わりしてしまった。少人数の家族葬が大半となり、宗教的儀礼を省く「直葬」も珍しくなくなった。参列者に酒食を振る舞う「お斎(とき)」も絶滅寸前だ。

▼これでいいのか、と昭和のオヤジは小声でつぶやく。安倍晋三元首相の「国葬」をめぐって賛否両論かまびすしいが、2億5千万円の経費をさも無駄遣いかのように扱い、反対デモで故人を口汚く罵(ののし)る「文化人」と称する人々の言い分を垂れ流す新聞やテレビはおかしい。長年国家に貢献し、非業の死を遂げた人物を国という共同体が礼を尽くして送るのは、当たり前。故人が大嫌いだったとしても黙って見送るのが、大人のエチケットだろう。