9月2日 コラム 産経抄

南米チリの独裁者、ピノチェト将軍が91年の生涯を終えたのは、2006年12月である。軍事政権下で、約3千人が死亡・不明となり、約3万人が拷問を受けたとされる。

▼世界でもっとも影響力のある女性政治家の一人といわれた、当時のバチェレ大統領もかつて被害者の一人だった。将軍がクーデターで倒したアジェンデ政権の空軍の将官だった父親は、拷問で殺された。医学生だった自身も母親とともに収容所に連行され、からくも東ドイツに亡命を果たす。

▼国内では、軍事政権による人権弾圧への追及が進む一方で、経済発展を成し遂げた「英雄」としてその死を悼む声も少なくなかった。二分する国論の克服が、バチェレ氏にとって大きな課題だった。

▼4年前から国連人権高等弁務官を務めてきたバチェレ氏はあらたな試練と向き合ってきた。中国新疆ウイグル自治区の人権弾圧は、欧米諸国にとっては「ジェノサイド(集団虐殺)」に他ならない。中国は激しく反発する。バチェレ氏は板挟みに苦しんだ。

▼今年5月に中国を訪れ、現地にも足を踏み入れた。ただし立ち入ることができたのは、当局が認めた施設だけである。住民との面会も制限された。あくまでテロ対策だとする、中国の主張を裏付けるだけではないか。そんな批判にさらされた。

▼とはいえ何とか、中国による深刻な人権侵害を指摘する報告書をまとめあげた。7月には、習近平国家主席が現地を訪問している。今秋の共産党大会をにらんだ、民族団結のアピールが目的だった。中国にとって報告書の存在は、はなはだ都合が悪い。闇に葬るためにすさまじい圧力が、バチェレ氏にかけられていたのだろう。公表は任期が終わる9月1日午前0時の13分前だった。