9月17日 コラム 産経抄

小泉純一郎首相(当時)の初訪朝から17日で丸20年となった。官房副長官として同行した安倍晋三元首相は10年後の平成24年9月、小紙のインタビューでこの時の反省点を語っている。「訪朝に至る経緯で秘密外交になり、(政府全体の)総力戦といえる状況ではなかったことだ」

▼安倍氏自身、拉致問題への言及がない日朝平壌宣言の条文を初めて見せられたのは訪朝当日、平壌へと向かう政府専用機の中でのことだった。拉致問題に誰より詳しい安倍氏は、日朝国交正常化に前のめりな政府内で外されていたのである。この拉致問題軽視が、後に政府の迷走を生む。

▼日本の唯一の同盟国である米国も部外者扱いされた。小泉氏が来日中のアーミテージ国務副長官に日朝首脳会談開催を伝えたのは、会談まで3週間に迫った8月27日のことだった。同盟国にも秘密裏に、核開発を続ける北朝鮮と裏交渉を進めたのだから、米国の小泉政権への不信感は高まっていく。

▼その結果、小泉氏は訪朝後の10月にメキシコで行われた日米韓首脳会談で、北朝鮮の核開発についてこんな当たり前の認識を表明するはめになる。「わが国は自らの安全保障上の問題として深刻に受け止めている」。抄子は同行取材をしていたが、小泉氏の不機嫌そのものだった顔が強く印象に残る。

▼米国の同意を得ない秘密外交の仕掛け人が、外務省の田中均アジア大洋州局長だった。当時、来日した米政府高官が福田康夫官房長官や安倍氏との面会を望んだ際、「彼らは忙しい」と勝手に断ったこともある。米国務省幹部は田中氏を「サスピシャス・ガイ(怪しいやつ)」と呼んでいた。

▼安倍氏が田中氏の暴走を止めていなければ、日米間のきしみは隠しようがなくなっていた。