9月25日 コラム 産経抄

OSO18とみられるヒグマ=令和元年8月13日(北海道標茶町提供) 日本のヒグマは死んだ魚をあさっても、生きた魚を狙うことはなかったという。ある写真家が、サケをくわえる姿を撮るために餌付けした。それが他のヒグマにも広がり、川でサケを捕る味を覚えたようだ―と『羆撃(くまう)ち』(久保俊治著)にある。

▼著者の久保さんは北海道でヒグマ専門の猟を営む人で、この半世紀の間に著しい生態の変化を見せたのがヒグマだと憂えていた。餌の入手が容易になったからか、食べ残した獲物に土や落ち葉をかけて隠す、「土饅頭(どまんじゅう)」という用心深い習性も薄れつつあるらしい。

▼北海道東部の酪農地帯で謎のヒグマが恐れられていると、先日のNHK『クローズアップ現代』が伝えていた。この3年余り、標茶町と厚岸町では牛65頭が同じヒグマの爪牙(そうが)にかかった。仕掛けたわなをすり抜け、牧場に忍び込む足取りは「隠密」さながらという。

▼「OSO18」と名づけられたこのヒグマも、獲物を土饅頭で隠すことなく行方をくらましている。飽食に慣れた現代の個体だろう。撃たれる恐れのない深夜を選んで出没するなど高い知能も侮り難く、遠い昔の餌付けから巡り巡って生まれた怪物と言えなくもない。

▼「臆病なクマは絶滅危惧種」という久保さんの説に、人間界の一員としては後ろめたさを覚える。駆除が最善手であることは疑いない。ないのだが、人里を「わが版図」と誤解する野生動物たちの振る舞いは、自然界に深入りし過ぎた人間への復讐(ふくしゅう)にも見えてくる。

▼いまは亡き動物写真家、星野道夫の言葉にある。「目に見えるあらゆるものは、地球という自然が再生しているつかの間の表現物にすぎない」。人間界と自然界、その境目を失いつつある野山の訴えを前に、われわれは何を改めるべきなのだろう。