住田の時代だったか清原の時代だったか(誰か教えて)、全国紙の部数が少ないから食い込む余地がある、と始めた東北作戦は、かなりの人員とカネを費やして失敗し、東北総局を残して人員を引き上げた。その失敗の経験がありながら、やはり「全国紙が少ない」という理由で始めたのが九州。勝算として北村一派の購読と、九州は右派が多いという理由を挙げていたが、北村一派の購読数などたかがしれてるし、九州は右派が多い、というのは根拠不明(ノイジーマイノリティは多かったようだが)。よく考えれば分かることなのだが、住田は強行し、メシはイエスマンに徹していたなあ。(遠い目)