2月17日 コラム 産経抄

「昭和天皇の母」である貞明皇后の生涯を小紙の川瀬弘至論説委員がたどった『孤高の国母』(産経NF文庫)にこんな場面がある。

▼大正10(1921)年4月、赤十字病院に行啓した貞明皇后は、3歳の女児にやさしく声をかけた。「大事に育てよ」。18世紀後半、ロシアなどに分割されたポーランドからは、多くの人が極東のシベリアに送り込まれた。ロシア革命の混乱により親を失い飢えに苦しむ子供が続出していた。

▼支援を要請された日本は現地に取り残された765人の孤児を東京や大阪に運んで保護し、健康を回復させてからポーランドに送り届けた。女児もその一人である。貞明皇后は事業を側面から支えていた。

▼米エール大の研究所はロシアが少なくとも6千人のウクライナの子供を占領地域から連れ去った、との調査報告書を発表した。ウクライナ政府によれば、その数は1万人を超えている。子供たちはロシア本土やクリミア半島にある施設に入れられ、ロシアへの愛国心を養う「再教育」を施される。16日朝のNHKニュースは、施設に乗り込んで娘を助け出した母親を取材していた。娘はもう一生、母親には会えないと悲観していたという。幸運な、そしてまれな例であろう。

▼平成14年7月、天皇、皇后両陛下がポーランドを公式訪問された。大使公邸での答礼レセプションの出席者の中には、90歳を超えるかつての「シベリア孤児」の姿があった。「日本の援助で生きています。日本の病院の手当てで生きています」。同行記者は感謝の言葉を伝えていた。

▼国際社会が手を差し伸べなければ、ロシアにとらわれた子供たちは「孤児」になってしまう。戦争犯罪に彼らの未来を奪われる事態を決して許してはならない。