7月9日 産経抄

昨年7月8日、奈良市(目撃者提供) 犬養毅首相を海軍の青年将校らが暗殺した「五・一五事件」では、すべての被告が極刑を免れている。

▼当時の新聞は、偏った立場で裁判を報じた。「動機に至っては、憂国の純情そのもの」「その悲壮な国士的精神、犠牲的精神の純真さに感動を禁じ得ない」。筒井清忠著『戦前日本のポピュリズム』から孫引きした複数の新聞記事は、浪花節的な筆致が驚くほどに似ている。世論が被告への同情になびいたのも、無理はない。

▼被告の減刑を求める嘆願書は数万通に及び、中には血判を押した書面もあった。被告らを持ち上げた『五・一五音頭』なるレコードも世に出回ったと聞く。当時の世情の荒(すさ)みは、想像に難くない。裁判からおよそ90年、同じ轍(てつ)は踏まない―と高をくくってはいられないようである。〝テロリスト賛美〟という不気味な怪物は、現代にも息づいている。

▼安倍晋三元首相を暗殺した男に対し、支援の動きが続いているという。一部とはいえ、SNSでは男を英雄視する向きもある。言論の自由とは、何を言っても許されることではない。「暗殺が成功してよかった」(島田雅彦法政大学教授)と口走ることでもない。旧統一教会との関わりに巻き込まれた男の不遇も事件を正当化する理由にはならない。

▼安倍氏に卑劣な凶弾を浴びせた男への礼賛と同情は、次の暴力を生み、新たな犠牲者を増やすだけだろう。ニュージーランドのモスク(イスラム教礼拝所)で男が銃を乱射した2019年3月のテロで、当時のアーダン首相はこう述べたという。「私は今後、男の名前を言うことはない。ニュージーランドは男に何も与えない」と。

▼本稿も、先の言葉にならって「男」と書いた。テロリストには何一つ与えたくない。名も実も