8月11日

 朝日に焼かれた霊峰富士の偉容を、武蔵は初めて目の当たりにした。流れるままの涙に頰をぬらし、自己の存在が宇宙の中の小さな一粒に過ぎないことを悟る。剣の腕に芽生えた自負もどこへ、われ知らずひざまずくのだった

 ▼吉川英治『宮本武蔵』の一節である。富士の神威に打たれ、諦観にも似たつぶやきを武蔵は漏らす。「自然の悠久は真似(まね)ようとて真似られない。自己より偉大なるものが厳然と自己の上にある。それ以下の者が人間なのだ」。言葉ににじむのは、山岳信仰の背骨をなす山への畏(おそ)れである。山を単なる山と見下す現代人の軽さを、武蔵なら何と嘆くだろう。「旅のついでに富士登山を」と、霊峰を侮った軽装で臨む外国人観光客がいる

 ▼宿泊客で埋まる山小屋を尻目に、0泊2日の「弾丸登山」を試みる。山上の寒さをしのぐため、トイレを占拠する。マナー軽視の横紙破りに、多くの登山客が閉口しているとも聞く

 ▼山頂踏破を一生の記念とするのは構わない。山への賛美と畏怖はしかし、必携のアイテムだろう。富士山に限らない。近年は整備が行き届かぬ「バックカントリー」でスキー客が事故に遭うことも多い。恐れを知らぬ人に、山は容赦なく牙をむく

 ▼人間の非力を謙虚にかみしめたい「山の日」である。登山家の野口健さんはかつて、富士山の世界遺産認定へ向けた取り組みに難色を示していた。登録を境に観光客が殺到し、踏み荒らされた屋久島をごらんなさい、と。登録から今年で10年、いまは任意とされる入山料1千円の見直しなど、一定の規制に手をつけてよい頃合いだろう。霊峰が音を上げる前に、である

 ▼「富士山の闇は日本の病み」。そんな警鐘も、野口さんは鳴らしている。