8月24日 夏の勝者
散髪、制服、略服、礼服ノ外、脱刀モ自今勝手タルベシ―。まげを落として髪形はご自由に、と。明治4年に布告された「散髪脱刀令」である。剃(そ)らず結ばず、切ったままにしておく「ざんぎり」は文明開化の象徴となった

▼「初めの程は頭上常に淋(さび)しきを覚へ、チョン髻(まげ)の身代りに帽子を戴(いただ)けど…」と書いたのは福沢諭吉である。洗うのも楽、整えるのも楽。手間が省けたらしい。仮に世の中が元に戻るとしても、「チョン髻だけは御免」と皮肉交じりにつづっている。

▼それから150年余り、泉下の福沢翁はご満悦だろう。自身の開いた学窓に集う「髪形自由」の後進たちが、浜風に乗せ凱歌(がいか)を奏した。夏の甲子園を107年ぶりに制した慶応高校である。黒髪をなびかす球児らの活躍で、この夏はゆくりなくも「髪形」を巡る議論が過熱した。 

▼日本高校野球連盟の調査では、部員の髪形を「丸刈り」とする学校は4校に1校という。4校に3校だった5年前から大幅に減り、丸刈りを「多様性」の敵とみなす的外れな識者談話も目についた。元丸刈りの元球児としては冷笑を禁じ得ない。

▼炎天に体が火照る真夏の練習では、蛇口をひねり頭から水をかぶるのが常だった。乾きの早い丸刈りは、熱を冷ます上で合理的だといまも思う。伸ばす自由があれば、刈り込む自由もある。長髪のナインに交じり、一人丸刈りを墨守する球児がいてもよい。それも多様性だろう。 

▼「自我作古」は慶応の建学精神の柱という。必勝でなく「必笑」を掲げ優勝した慶応も、連覇でなく「2度目の初優勝」を合言葉に力戦した仙台育英も「我より古(いにしえ)を作(な)す」の気概に優劣はなかった。髪を伸ばした前者、丸刈りの後者、どちらも夏の勝者である。