>>831 (続き)

80〜90年代に朝日新聞記者になった私たちの世代にとって筑紫は憧れの先輩だった。
7年前の本欄創設の際、「多事争論」名の採用案が出たのもデスクや執筆陣にその世代が
多かったためだろう。

ただし賛否は割れた。私も含め何人かが「この時代に改めて多事争論を掲げる意味はある」と
賛成する一方で、「争って事を論じるばかりがコラムではない」と反対する者たちもいた。
最後は編集局長裁定で、争うではなく、いろんな論を奏でる「多事奏論」に、となった。

異なる取材領域をもつ筆者たちが論を奏でる場としてこのタイトルもそれなりに定着して
きたのだろう。とはいえ世界の、そして日本の政治や社会のありようを眺めるにつけ、
「争うように論ずる意味」にこだわることが今ほど求められる時代はないと、ますます
感じる。

それを痛感したのは、昨年11月の臨時国会で高市早苗首相が台湾有事は「存立危機事態に
なりうる」と発言した後の顛末の異様さを目にしたからだった。

首相発言は政府の想定問答集にはないアドリブで、明らかに答弁ミスだった。ところが首相は
国会でその質問をした岡田克也氏(当時は立憲民主)に非があるかのような言いぶりをした。
それに反応した氏への批判がSNS上で高まり、衆院選では落選運動まで起きた。結局、
岡田氏は長年維持してきた議席を失う。

(続く)