6月21日

 那覇などの街が大規模な空襲で焼けたのは昭和19年10月である。沖縄戦が現実味を帯びる中、県外から赴任していた公務員らの職場離脱が相次いだという。出張と称して、二度と戻らない。当時の沖縄地方気象台長もそうだった。

▼気象は戦機に関わる機密で、沖縄戦では雲の多寡や風の強弱が特攻を含む作戦を左右した。砲煙弾雨の下、観測データを福岡管区気象台などに送り続け、命を落とした職員も多い。気象技師の笠原貞芳氏は中央気象台への異動の内示を蹴って沖縄に残り、戦闘で亡くなっている。

▼「家族以上の部下を残して自分だけがのうのうと東京へは戻れない」。親族にそう伝えたとの挿話が、田村洋三著『特攻に殉ず』にある。沖縄戦での日本は、軍民を合わせ約18万8千人が亡くなっている。米軍の戦死者も1万2千人以上に上った。

▼沖縄は6月23日に「慰霊の日」を迎える。組織的な戦闘の終結から81年、亡くなった人々に哀悼の誠をささげたい。尖閣諸島をはじめわが国の近海は威圧的な動きを強める中国のせいで波が高い。防衛力を高め国土と国民を守る―。国家として強い意志を示し続けねばならない。

▼笠原氏は「暗号書焼却セリ コレヨリ大儀に殉ゼントス」との打電を残し、敵の砲撃で絶命したと伝わる。本土防衛の「捨て石」と自虐的な歴史観で語られることもある沖縄戦だが、多くの人々が祖国のため職責を貫いた事実を忘れてはなるまい。

▼「琉風之碑」という名の石碑が、糸満市伊原に建てられている。笠原氏ら沖縄戦で観測の仕事に殉じた気象台員の慰霊碑で、そこには戦闘の激しさを物語る一句が刻まれている。<夏草の原に散るべき花もなく>。慰霊の日にはその前で、追悼式が営まれる。