8月29日

 俳句や短歌に腕を振るった正岡子規は、切れ味鋭い批評など名文家としての聞こえも高かった。晩年の事績に随筆集『病牀(びょうしょう)六尺』がある。時評、文芸批評、身辺雑記…。新聞「日本」に約4カ月連載されたのは、明治35年である。

▼病床から原稿を1日1本郵送するのだが、新聞社からは封筒300枚を先に渡されていた。病の篤(あつ)かった子規の目には、重いノルマと映ったらしい。連載が100回に達した日、安堵(あんど)の筆を走らせた。「百日といふ長い月日を経過した嬉(うれ)しさは人にはわからんことであらう」と。

▼命の火を灯(とも)す思いで書き続けたであろうことは想像に難くない。日々世に出る新聞も、下地には記者や編集者の呻吟(しんぎん)が練り込まれている。一字一句に神経をすり減らし、容易に埋まらぬ最後の1行に頭を抱える。子規の感懐はそれゆえよく分かる。

▼1面の題字横にあるように小紙はきょう、3万号を迎えた。戦時下だった昭和17年11月の第1号から84年、長きにわたり支え続けてくださった読者諸賢には感謝の念が尽きない。思えばメディアを取り巻く環境も、新聞のあり方も大きく変わった。

▼2万号を数えた平成10年6月の時点では、SNSや生成AIの隆盛など思いもよらなかった。いまの世の中には噓があふれ、噓の宣伝で他国をおとしめようとする国もある。小紙は虚偽の情報から日本を守る防波堤として、この先も尽くしてゆく。事実を報じて噓を砕いてゆく。

▼媒体の姿がどう変わろうとも、その一念が記者たちの中から失われることはない。3万5千号、4万号をどのような形で迎えるか、いまから楽しみである。何より、産経がこれからも日本に必要とされる新聞であり続けることを、この場を借りてお約束する。