だが当時の日本は、対支那では「不拡大方針」、対米では「日米開戦回避」であった。
総力戦研究所でも、「もし日米開戦ならば、日本の必負。」と結論つけられてた。

そこで支那軍による日本人居留民虐殺事件が起こっても、日本軍は穏便に済まそうとしてた。
また対米戦回避に苦心する日本は、「日米交渉」を一筋の希望の光として、真摯に交渉に応じた。

エゲレススパイ組織の台本通り、どんなに厳しい条件を突き付け、日本を挑発しても日本は乗らなかった。
いつもニコニコして「あなたがそう言うならそうしましょう。外交で解決しましょう。」と握手を求めてきた。
英米は頭を抱えた。
「…いったいどうすれば日本は怒るのか!どんなに挑発しても日本は怒らないではないか!」と。

しかしそこで今までの日本の努力と外交交渉を「無」にするABCD包囲網。
そして最後通牒とする「ハル・ノート」を突き付けた。
外交に希望を見出してた日本のハシゴを蹴り倒した欧米列強。

「これはいったい何なんですか!これまで戦争回避のために譲歩に譲歩を重ねて我慢してきたのに、これでは日本に死ね!と言ってるのと同じではないか!」
ついに日本はキレた。
欧米は、やっと日本が起こった!これでダメリカを参戦させることができると喜んだ。

全ては巧妙に仕組まれた、”日本開戦への道”であった。